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100年カレンダーの怖さと不思議な感覚

100年カレンダーというものをご存知でしょうか?

通常のカレンダーでは、一枚のページで1ヶ月となっていたり、一枚のページで2ヶ月となっているものが多いです。

100年カレンダーでは、一枚のページに、生まれた年から100年分の日付が刻まれています。

つまり、平均寿命で考えれば、このカレンダーの中には、自分の『生まれた日』と『最期の日』の両方があるということです。

これは、今まで感じたことのない不思議な感覚です。

いつかは最期の日が来るとは分かっていても、なんだか人ごとのような、実感の湧かないフワッとしたもやのかかったイメージでした。

しかし、このカレンダーの中に「実際に最期の日があるんだ」と思うと、それまで薄っすらとかかっていたもやが晴れて、現実味を帯びてきます。

すると、「生きる」というキーワードが頭の中に浮かび上がってきます。

見えているようで、見えていなかったものが、視界が開けたことで、見えてきたのです。

それまで漠然としていた「最期の日」が意識されることで、同じように漠然としていた「生きること」も、はっきり意識できるようになるからです。

「今をちゃんと生きなければ!」と改めて考えさせられます。

100年という枠の中で今日を見ることで、「確実に終わりが存在するんだ」と実感できるので、「1日1日を無駄にできない」という気にさせてくれます。

また、この100年カレンダーで今日の日付を見ることで、「ずいぶん長く生きてきた気がしてたけど、まだココなんだ」という認識のズレにも気づくことができました。

たとえば、50歳で考えると、100年を一括りにしているので、全体の地図で見るとちょうど半分の位置です。

あたりまえですが、人生は、ちゃんと同じくあと50年あるのです。

それなのに、なぜか20代がピークという思い込みがあり、感覚としては、30代以降はすでに「後半戦」という感覚になっていました。

人生の30代以降の時間が、ギュッと圧縮されていたのです。

50歳になったときに、やっと100年でいう折り返し地点で、ココからが後半戦だと頭では分かっていても、感覚では分かっていなかったのです。

つまり「20代までが大きく見える」という “ 錯覚 ” をしていたのです。

たしかに、体力的には20代が全盛期かもしれませんが、おそらく、ドラマや漫画なんかで10代や20代がモテはやされているシーンが多いので、人生の中で一番輝いている印象が強く残っているからなのかもしれません。

100年カレンダーで、今の年齢を見ることで、この錯覚は払拭されます。

等間隔で見る「本当の位置」を目の当たりにするからです。

仮に、今が50歳だとしたら、「本当にまだ半分なんだ。あと『同じだけの量』の人生があるんだ」と、時間を『量』として見ることで感覚が変わります。

主観で感じていた「量」と、客観的な「量」の誤差に驚きます。

100年カレンダーは、5段になっていて、ピークだと思っていた20代は、2段目に差し掛かったばかりです。

ピークどころか、「まだまだ序盤」だということが分かりました。

圧縮されていた時間が解凍されて、新たに再構築された世界が目の前に広がったのです。

「主観の時間」で、頭の中で描いていた世界は、思い込みによって時間が伸びたり縮んだりしています。

100年分の一日一日を1枚に収めて、幼少期、学生生活、社会人生活のそれぞれの記憶を「等間隔」に一目で見渡すと、「大変だったあの時期も全体の中ではこれだけなんだ」と、大きく思えていた記憶が小さくなっていきました。

「等間隔の時間」で、世界を見ることで、

“ 思っていたのと違う ”

“ 大きく見えていただけだったんだ! ”

と、新鮮な感覚を得られました。

頭で思っているモノゴトの「大きさ」は、主観・・による「相対的な大きさ」にすぎなかったのです。

幸い、未来は「 これから・・・・ 五感でインプットするもの」で、つくられていきます。

100年カレンダーの「残りの日付の連なり」を、望むもので構成してくためにも、これから・・・・インプットするものは、“ 自分意識的に選んでいく ” ことを大切に感じます。

※ちなみに、こちらが生まれ年から始まる100年カレンダーシリーズです。1972年生まれ用を例としてリンクをのせています。自分の生まれ年を探して見つけると、テンションが上がります。