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思い込みのこわさ。渦中にいる時は、気づけない

押し入れの片づけをしていると、懐かしいものがたくさん出てきます。

思い出にふけっていると、ある記憶がふと蘇ってきました。

学生時代の恋愛です。

「この人が運命の人に違いない!」「この人以外に、他に好きになれる人はいない」と、本気で思っていました。

ですので、別れることになったときは、人生の絶望のように感じていたことを思い出したのです。

長い年月が経った今では、何とも思わないどころか、いい思い出です。

むしろ、悩んだからこそ、“ そこからの脱出方法をいかに模索するか ” ということを学べたと感じています。

また、初めて味わう感覚もたくさんありました。

  • 一目惚れのビビッとくる感覚
  • 好きすぎて周りが見えなくなるという感覚
  • 別れるときの辛く切ない感覚
  • そんな「心の移り変わり」を、今、フラットな気持ちで眺めている感覚

感覚は、言葉では説明できません。

だから、人生は「実体験」という説明・・方法・・を使って、「感覚とはどういうものか」を私に教えてくれたんだと思うことにしました。

人生は、授業。

「このドキドキ感。これが、恋だよ」

「このザワザワ感。これが、ヤチモチだよ」

「このキュンとする感じ。これが、愛おしいだよ」

「これが、没入感だよ」

「これが、喪失感だよ」

「そして、これが、思い込みから抜け出して俯瞰するというフラットな感覚だよ」

人生という先生は、「感覚」を教えてくれるときに、時には荒々しい「教材」を使いますが、どれも大切な授業内容でした。

その中でも、一番の教訓は、“ 思い込みの怖さ ” です。

あんなに「この人しかいない!」と思い込んで、一喜一憂していた “ あの気持ち ” は、いったい何だったのか?

とくに、恋愛の思い込みによる視野の狭まり方は、ハンパじゃありませんでした。

周りの意見やアドバイスも、まったく耳に入りませんでしたから。

今、心底怖いなと思うのは、渦中では、それに気づけないことです。

当時の私に、もしメッセージが送れるなら、

「とにかく本を読んで。そして、考えて。」

と伝えます。

「こうした方がいいよ」というようなアドバイスを送ったとしても、当時の自分なら聞く耳をもたないことを知っているので、自分で気づいてもらうしかないからです。

この時も、ある一冊の本との出会いによって、私の恋愛観はガラリと変わりました。

何かを思い込んでる最中・・の私に、いくら言い聞かせようとしても、余計に反発するだけ。

夢の中で、夢だと気づけないように、思い込みの怖さは、渦中では “ それに気づけないこと ” です 。

「知らないということを、知らない」と言われるように、“ 知っている世界がすべてのように感じてしまう ” のです。

この世は、思い込みによる錯覚のオンパレード。

恋愛に限らず、日常生活においても、お金、時間、所有という幻想、普通という感覚、常識という大きな流れ、あらゆることを「こういうものだ」と思い込んでいます。

太陽が動いていると思うのか、地球が回っているから太陽が動いているように見えると思うのか、そもそもどれも違うのか、それくらい錯覚で見方は変わります。

欲も、恐怖も、執着も、錯覚。

「人間の脳はバイアスがかかるものなんだ」と知っておくだけでも、「一歩引いて見なきゃ!」と少し冷静になれる気がします。

今この段階でも、私は何かを思い込んでいて、それに気づけていないことだらけ・・・なんだろうなと思います。

もしかしたら、「今この瞬間の五感」と「蓄積された記憶」とによって、猫の時は猫だと錯覚し、人間の時は人間だと、その時その時の「五感」と「記憶」によって、錯覚を繰り返しているだけなんじゃないかとすら感じてきます。