「好調なとき」は、天狗になってしまったり、調子に乗って、いつもの自分なら絶対しないようなことをしてしまったり、自分を見失わせることがあります。
塞翁が馬という故事は、幸運に思えることがあった時こそ気を引き締めて、不運に思えることがあった時でも嘆かなくていい、出来事に一喜一憂してもしょうがない、感情を振り回されないようにするという大切さを教えてくれます。
ある日、塞翁という老人の飼っていた馬が逃げ出してしまう。
みんなは同情したが、老人は「これは福を招くかもしれない」と言った。
すると、逃げた馬は、立派な馬を連れて帰って来た。
みんなは祝福したが、老人は「これは災いを招くかもしれない」と言った。
しばらくして、老人の息子が、新しい馬から落馬して足を骨折してしまう。
みんなは慰めたが、老人は「これは幸いかもしれない」と言った。
その後、戦争が始まった。
老人の息子は怪我をしていたので兵役を免れた。
塞翁が馬
と、物語はここまでですが、仮に、このあとも、話が続いているとしたらどうなるのでしょうか?
おそらく、同じように、「いい」と思ったことが後に「悪い」ことになったり、「悪い」と思っていたことが、後に「いい」ことになったりと、繰り返していくのでしょう。
人間は、2つの判断方法を選ぶことができます。
「理性」による判断と、「感情」による判断です。
「感情」による判断は、スピードが命です。
目の前にある情報だけで、判断しようとします。
ときに、そのスピードが功を奏することもありますが、多くの場合は、早合点して「後悔」することになります。
「理性」による判断 は、冷静さが命です。
目の前にある情報だけでなく、第三者の立場の視点から今の状況を見てみたり、今後起こりうるいくつかの可能性に目を向けてみたりしながら、判断しようとします。
スピードこそないものの、多くの場合は、自分の中に「後悔」の代わりに「納得」が生まれます。
今の目の前の状況は、塞翁が馬であり、一喜一憂して感情に振り回された行動をしないで、自分の決めている “ なすべきこと ” を丁寧に淡々と繰り返して、日々やっていくだけです。
- 順風満帆で、状況がいいと思えるときほど、気を抜いてはいけない。
- 事態が悪化し、どん底だと思えるときほど、本当にそうだろうか?
と、冷静に、自分の目の前で繰り広げられるモノゴトを見つめる。
そして、
- 好調な時こそ、“ 感謝する ” 。本当に、みんなのおかげ。森羅万象すべてのつながりのおかげ。
- 不調な時こそ、“ 誰のせいにもしない ” 。自分の行動に目を向けて、軌道修正していくだけ。
有頂天になったり自暴自棄になったりと、自分を見失うような行動をとったりしないで、松下幸之助さんの名言にもあるように、『静かに時の来るのを待つ』を心がけていたいと感じています。
悪い時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
『大切なこと』松下幸之助/著