私が感じていたいのは、「間に合っている!」という感覚です。
それは、「時間の余裕」を感じることによる、心の余裕でもあります。
つまり、「ゆとり」を感じていたいのです。
これは推論ですが、何かといつもギリギリにしてしまう習慣があると、人生最期の時も、同じくギリギリの感覚になっているような気がするのです。
つまり、「もっと早くしておけば!」という後悔の感覚です。
やることをやり終えて、“間に合っている”という「時間のゆとりの味わい」は、格別です。
私にとっての「時間のゆとりの味わい」とは・・・、
お日さまが降り注ぐポカポカした明るい窓辺で、揺り椅子に座ってゆらゆら揺られながら本を読んでいるようなイメージ(膝の上では、猫がお昼寝をしています^^)です。
人生最期の瞬間にも、「時間のゆとりの味わい」を感じているためには、日々の小さな出来事にどう向き合っているかが影響するのでは?という気がしています。
と言いますのは、人生はフラクタル構造だからです。
小さな期限にも、その都度その都度、余裕をもって“間に合わせていく”習慣が、結果的に、人生という期限にも “間に合わせていく” ことにつながると思うのです。
かく言う私は、夏休みの宿題は後回しにして、結局終わるか終わらないかというギリギリの状態が多かったです。
毎年毎年、「間に合わない!」「もっと早くからやっておけば。」という後悔を感じていたにもかかわらず・・・。
そして、授業にも約束の時間にも遅れていくので「遅刻の女王」と呼ばれるほど、いつも何かしらの締切に対して“間に合っていなかった”のです。
結局、“間に合わない感覚”は、すべてに通じていたのでした。
でも、本当に感じたいのは、“間に合わない”という焦りではなく、“間に合っている”という余裕です。
一度、この“間に合ってる感覚”の妙味を知ってからは、この感覚の虜になりました。
心地良すぎるのです。
日々の小さな期限に余裕をもって間に合わせていく心構えが、人生の大きな期限にも余裕をもって準備できます。
期限に間に合わせるために必要なのは、想定外があることを常に意識しておくこと。
必ず、想定外は起こり得ます。
ですので、想定外が起こることを想定して、前準備の段取りを考えておくしかありません。
そして、たとえ想定外のどんなことが起きたとしても、自分の人生は自分でどうにでも「解釈」していけます。
日々、「自分の本当にやりたいこと」や「自分にとって大切なこと」を後回しにせず、毎年毎年、毎日毎日、今この瞬間瞬間を、“どう解釈しているか”ということに意識を向けていたいと思っています。
日常から“間に合っている”思考でいることで「時間のゆとり」が増え、それが「心のゆとり」につながり、ひいては「人生のゆとり」となる・・・。
“間に合う”感覚を大切にすることで、“ゆとり”という贅沢を堪能していきたいです。