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眠りは、小さな死。毎日「命の締切」を実感し、今日を本気で生きる

子供の頃、夜にふとんの中で、「死んだらどうなるのか?」を想像しては、未知への恐怖を感じていました。

しかし、あるとき、「眠っている状態」も「死んでいる状態」も同じなのではないか?と思うようになりました。

意識が途絶えるという意味で、「眠り」も「死(永遠の眠り)」も似たような感覚に思えます。

次の日に、目覚めるのか、そのまま目覚めないかの違いだからです。

いつ眠りに入ったのかは、自分では決して分かりません。

眠気とともに、記憶が時間軸を無視してあべこべに交差していき、夢と現実の間を行ったり来たりします。

この状態のときに、話しかけられると、意味不明な返答をして、自分でもびっくりすることがあります。

寝入りの瞬間は、記憶にアクセスしていた電気信号のスイッチを、一つずつ消していくように、意識が薄れていくので、寝入りの瞬間を「ここだ!」と特定できません。

起きたときに初めて、「あれ? いつの間にか寝てたんだ」と認識することができるだけです。

同じように、死も、夢うつつを彷徨いながら、いつの間にか意識が遠のいて、自分では死んだことすら分からないんだろうなという気もしています。

すると、死も怖いものではないと、安心できます。

毎晩、眠りという死の疑似体験をしているとすれば、一日が「小さな人生」そのもの。

「眠り」という、毎日の「小さな死」があると考えれば、夜に眠る時間が近づくにつれて、

“ もうすぐ小さな死を迎えるけど、今日、満足のいく一日を過ごせたかな? ”

と、自問自答するきっかけにもなります。

“ いい一日だったな ” と思えたら、心置きなく眠れます。

この世はフラクタルであり、一日一生。

それは、永遠の眠りの前に、“ いい人生だったな ” と思えるのと、同じ感覚のような気がしています。

なぜなら、人生は、今日という「一日」「一日」をすべて足し合わせたものだからです。

西洋にも、メメント・モリという言葉があります。

「自分もいつか必ず死ぬということを忘れるな」という意味で、「今日を大切に生きよ」「今を楽しめ」というようなメッセージ。

いつ死ぬか分からないからこそ、今を大切に生きて、今日を満足する。

繰り返しの「今日」を満足するためには、ほんの少しの時間でいいので、「自分のための時間」をできるだけ持つようにしていきます。

そんな、一人で過ごす自分だけの時間は『me time』とも呼ばれています。

リラックスするために、一人で好きなことをして過ごす「自分へのご褒美」のような時間です。

大好きなスイーツを食べながら読書をしたり、美しい夕焼けをボーっと眺めながらココアを飲んだり、アロマの香りに包まれながらバスタイムを楽しんだり、間接照明の薄明りの中でジャズを聞きながらワインを味わったり、プチ贅沢を楽しんだり・・・。

「ひとり時間」は、自分と向き合う時間です。

自分の内面と深くつながり、自分を知る大切な時間でもあります。

“ いろいろあったけど、今日もいい日だったな ” と、眠る前に感じられるように、「今日」を大切に過ごしていく。

それが、「今日」の集合体である「人生」を大切にすることになり、“ いろいろあったけど、いい人生だったな ” と満足できる瞬間につながっているような気がしています。

睡眠は死からの負債である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである。

アルトゥール・ショーペンハウアー
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