どんなに欲しいものを買ったり 美味しいものを食べて、欲を満たしたとしても、満足は「一瞬」です。
「欲を満たす」ことが、長く続く満足になるかどうかは、その欲を「自分の意思」で満たしたかどうかにかかっています。
本当の満足を得られるかどうかは、その行為が、主体的に行われたのかどうかが重要です。
つまり、無意識に衝動で起こした行為ではなく、自分の意志や判断に基づいて意識的に起こした行為なのかどうか。
みんなが持っているからという理由で自分も欲しくなったり、ショッピングモールに行って魅力的な服にテンションが上がって必要以上に買ったりすることがあります。
たしかに、満足は得られますが、「一瞬」です。
そして、後に待っているは、「後悔」です。
ところが、たとえ「欲を満たす」ための「買う」であったとしても、
・〇〇を達成したら買おう
・家の中のモノを何か一つ減らしてから、新しいモノを買おう
・今持っているものが使えなくなったら買おう
などと決めた上で買う場合は、無意識の行為ではありません。
しっかりした意思をもって意図的に買うので、自分の思い描いた通りの行動です。
買うことに満足というよりは、日常に起きる物事をコントロールできているという自信からくる満足感が得られます。
他にも、たまたま通りがかったパンやスイーツのお店から漂ってきた美味しそうな匂いに食欲がそそられて、買ってすぐに食べてしまうことがあります。
たしかに、満足は得られますが、「一瞬」です。
そして、後に待っているは、「もっと食べたい」という、さらなる「衝動」です。
ところが、たとえ「食欲を満たす」ための「食べる」であったとしても、
・やらなければならない一日のノルマをこなした後に、ご褒美として食べよう
・特別な日にだけ食べよう
などと決めた上で食べる場合は、無意識の行為ではありません。
その場合、もちろん美味しいものを食べることによる満足感も得ますが、ノルマが終わったという達成感からくる満足が得られます。
そして、それまで食べるのを我慢できたという自分へのねぎらいと、決めたことをやり遂げたという自信からくる満足も大きいです。
スマホを見る、ゲームをする、テレビやYouTubeなどの視聴を無意識に行うことも、同様です。
無意識に、ただ単に 欲を満たしても、一瞬で満足は消えていきます。
同じ「欲を満たす」でも、それを主体的に利用して、自分の意図によって得た満足であれば、自分の思い描いた通りの行動によるものなので自信となります。
そして、日常をコントロールできているという充実感につながります。