お金も時間も、等価交換。
「無」から「有」はつくれないので、何かを得るときは、何かの代償を払っています。
問題は、代償を払っていることに、気づきにくいこと。
「これ欲しい!」と思って、何かを買おうとしている瞬間は、“ その費やした金額の分の、他の何かが買えなくなっている” なんて、いちいち思いません。
「ドラマの続きが気になるから、もう一話だけ見たい!」と、そのまま何話も何話も見ている間、“ その費やした時間の分の、他の行動をする時間がなくなっている ” ことには気が回りません。
つまり、「片側」に夢中になっているときは、「反対側」で “ なくなっているもの ” があることには、意識が向かないようになっています。
そんなときに、この質問がよく効きます。
- それを買うことによって、何が買えなくなっているのか?
- それをすることによって、何をする時間がなくなっているのか?
この質問によって、意識を目の前のことから逸らして、意識を “ 未来に向ける ” ことになります。
強制的に、視点を上げてくれて、“ 見える幅が広くなる ” のです。
すると、視野が狭くなっていたことに気づくことができます。
お金は、限りがあるものだからこそ、何かを買うと、何かが買えなくなっている・・・
時間も、限りがあるものだからこそ、 何かをすると、何かをする時間がなくなっている・・・
あたりまえのようで、気づきにくいことだなと思いました。
なぜなら、片側に夢中になっているときは、もう片側が見えなくなってしまっているからです。
何かと引き換えに、何かが買えている。
なにかしらの行動と引き換えに、なにかしらの行動ができている。
どっちかしかできない・・・。
そして、往々にして、「買えなくなってしまったモノ」、「する時間がなくなってしまったコト」の方が、大切なことが多いような気がします。
必ず、反対側があります。
“ 何が買えなくなっているか? ”
“ 何をする時間がなくなっているのか? ”
にも意識を向けながら、
“ それでも、買いたいくらい大事なモノ ”
“ それでも、したいくらい大事なコト ”
に、自分のコントロールをもって「お金」と「時間」を配分していくことを大切に感じています。