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「ゆっくり」動作で、幸せも感じられる。「話す・食べる・書く」の所作は、ゆっくりと余裕をもって。

人生がうまくいかないなと思うときは、焦っていたり、バタバタとせわしくなく動いて、目の前のことばかりに気が向いて、周りが見えなくなっていることが多いように思います。

スポーツ選手のスランプもそうですが、どんなに優秀な人でも調子が悪くなるときは、必ずあります。でも、そういうときでも、極力、致命的なミスをおかさず、なるべく早くスランプから抜け出すための最大の秘訣が、「調子の悪いときほど、ゆっくり動く」ということなのです。

「ゆっくり動く」と人生が変わる 順天堂大学医学部教授 小林弘幸/著

「ゆっくり」に秘められている力とは、何でしょうか?

「ゆっくり」を意識することで、「動作」がゆっくりになり、「呼吸」も深くゆっくりになるので、「自律神経が整う」のだそうです。

◎さまざまな動作を「ゆっくり」行う → ◎「自然と」呼吸がゆっくり深くなる → ◎副交感神経の働きが高まり、自律神経のバランスが整う → ◎血流がよくなり、体のすみずみにまで質のいい血液が流れる → ◎健康になる

「ゆっくり動く」と人生が変わる 順天堂大学医学部教授 小林弘幸/著

「ゆっくり」によって、精神が落ち着くことで、モノゴトに一喜一憂しないですみ、感情も振り回されなくなります。

この、“ ゆっくり動くこと ” は、「日常の所作」に関しても威力を発揮します。

なぜなら、男女問わず、美しく艶やかでエレガントな動きというものは、よくよく分析・検証してみると、すべて「ゆっくり動く」ことが基本になっているからです。

たとえば、俳優さんや女優さんたちでも、華があるとかオーラがあると言われている人というのは、おしなべて、ゆっくり動いていることに気がつきます。

「ゆっくり動く」と人生が変わる 順天堂大学医学部教授 小林弘幸/著

たしかに、吉永小百合さんやオードリー・ヘプバーンさんのように、上品でエレガントな雰囲気な人は、所作がゆっくりと美しいです。

そして、会話もゆっくりと話し、ゆっくりと食べて、ゆっくりと字を書いている様子が思い浮かびます。

“ 素敵な人 ” は、いくつになっても、

  • 美しい姿勢
  • 美しいしぐさ
  • 笑顔
  • 落ち着いていて、おだやか

です。

ゆっくりと、綺麗に歳を重ねていっているイメージがあります。

また、日本の伝統文化である、書道や茶道、弓道、能なども「ゆっくり」が基本です。

さらに、「ゆっくり」の中にも緩急のリズムがあり、「早さ」も「美しさ」も兼ね備えているように感じます。

「型」という「繰り返しの基本動作」を通して、「ゆっくり」「早く」「美しく」 が無意識レベルで体に浸透していくのでしょうか?

「ゆっくり」、「早い」、「美しい」という相反するものが融合して、「和」を生み出しているんだなと感じます。

でも、「いつも時間に追われている今の時代、ゆっくりやっていられないことも多いんだけど……」と思われた読者もいるかもしれません。

しかし、人間の動きというものをよくよく分析してみると、「ゆっくり」を意識したほうが、結果的に早く動けることがほとんどなのです。

「ゆっくり動く」と人生が変わる 順天堂大学医学部教授 小林弘幸/著

調子が悪いと感じるときほど、動作の前に、まずは「ゆっくり」を意識する。

イライラして焦って事にあたっても、最終的には、何のメリットもありません。まさに、「急いては事を仕損じる」です。

ですから、急いでいるときほど、一瞬でもいいから、「ゆっくり」を意識して、それから動き始める。そうすると呼吸が安定し、より早く、よい結果を得ることができるのです。

「ゆっくり動く」と人生が変わる 順天堂大学医学部教授 小林弘幸/著

「ゆっくり」を意識するには、「ゆっくり」という言葉を、その都度、思い出す必要があります。

そこで、わたしは “ ゆっくり、早く、美しく ” という文字を、毎日見るようにしています。

脳に覚えてもらうためです。

そうすることで、「今わたし、早口になってるな」とか「あ、乱雑な字になってる!」、「ほとんど噛まずに飲み込んでしまった・・・」と、気づけるようになりました。

気づいたら、「戻す」だけです。

早口に気づいたら、「ゆっくり丁寧に話す」に戻す。

走り書きに気づいたら、「ゆっくり美しく書く」に戻す。

早食いに気づいたら、「ゆっくりよく噛む」に戻す。

何ごとも、焦ってバタバタ行うよりも、「ゆっくり」と気持ちの余裕をもって行う方が、幸せもしっかり感じられる気がします。

他にも、歩くときや、掃除や片づけをするときなども、“ ゆっくり、早く、美しく ” を意識するようにしています。

体は、やってみせてあげないと、覚えてくれません。

「頭で分かる」のと、「できる」は違います。

頭で分かるだけでは、「体はまだ分かっていない」からです。

何回も、“ やってみせてあげる ” という『行動』が、体にとっての学び方です。

日々、「基本動作を繰り返す」という『継続の力』によって、ゆっくり早く美しい「日常所作」を、体に染み込ませていきたいと感じています。