人は、認識しないと、そこにあっても見えていません。
視界には入っていても、認識できていないと、あるのに見えていないということはよくあります。
逆に、新しい認識が増えると、視野が広がります。
見慣れたはずの日常も、新しい言葉を知ることで、ガラッと見える世界が変わります。
言葉によって、認識の幅が広がるからです。
今まで知らなかった新しい言葉を一つ知ることで、自分の頭の中の空間に 線が引かれて、「それ」が浮かび上がってきます。
「それ」とは、今まで 自分の中にはなかった「新しい認識」です。
ずっとそこにあったはずなのに、認識していなかったので 見えていなかっただけなのです。
新しい言葉を知れば知るほど、世界が広がっていきます。
たとえば、「立待月」。
新月から数えて、17日目の月の呼び名です。
電灯のない時代の日本人は、月明かりをとても楽しみにしていたと思います。
ところが、月の出は 1日ごとに約50分遅れていきます。
「立待月」には、月の出をいまかいまかと、立って待っているうちに月が出てくる様子が表されています。
そして、新月から数えて18日目の月の呼び名は、「居待月」。
月の出を、立って待つには長すぎるので、座って待つところからそう呼ばれています。
19日目になると、「寝待月」。
月の出があまりに遅いので、寝ながら待っているうちに、月が出てくる様子がうかがえます。
夜空を見上げて、月に注目をする時は、
- 🌕満月、望月、十五夜(15日目)
- 🌒三日月(3日目)
- 🌓上弦の月(7日目)
- 🌗下弦の月(23日目)
など、特徴的な形の時が多いです。
しかし、日本人は 古来より、満月を過ぎたあとの 月が欠けていく様子の中にも「立待月」「居待月」「寝待月」などと呼んで、月の移り変わりを愛でていたことが分かります。
私は、この言葉を知ることで、月の出を楽しむという世界が広がりました。
それまでも 新月から満月までの期間に出ている月のサイクルを 何度も見ていますが、何時ごろに月の出があるのかということや、満月や三日月以外の日の月の満ち欠けに、それほど注目することはなかったように思います。
月の呼び名を知ることで、「今日は新月から何日目だから〇〇月だな」などと、今まで見ていても気にとめなかった月の存在を 認識することができるようになりました。
言葉を知ることで、それまで近くにあったのに見えていなかった世界が、見えるようになるんだなと感じます。