子供の頃は、見たもの、聞いたもの、読んだものを、素直に信じます。
それは、アニメで見た映像なのか、絵本なのか、大人から聞いた昔話なのか。
とにかく、純粋に信じます。
魔法だって信じます。
いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると、プリンセスストーリーを信じます。
ヒーローの特殊なパワーが自分にも目覚めて、いつか使えるようになるのではないかと信じます。
サンタクロースの存在も、信じて楽しみに待つことができます。
「信じる心」は、実際には真実かどうかは関係なく、子供たちに「喜びの感情」を与えてくれます。
ところが、大人になるにつれて、信じることが素直にできなくなっていきます。
それは、知識が増えていって、モノゴトの新たな情報を得ることで、「正しい情報」と「間違った情報」を判別するようになるからです。
そして、「疑う」を覚えます。
もちろん、だまされないようにすることは必要ですし、安易に信じてしまうことは危険な場合もあります。
ニュースや、誰かの意見、世間話なども、すぐ鵜呑みにせずに自分で見極めることも大切です。
しかし、「人」に対して、あまりに疑いすぎると、それが自分を苦しめることになります。
特に、親しい身近な相手に対してです。
大切な人を、疑うことほど辛いことはありません。
“ 素直に相手を信じることができる ” は、喜びの一部でもあるように感じます。
大人になっていくとは、その過程で、たくさんの影を知っていくこと。
影によって、辛さや苦しみを伴うこともありますが、同時に、光の存在を再認識できます。
影があるからこそ、光の美しさが鮮明に際立つように、その辛さを知るからこそ、対となる喜びの大切さをより実感できるようになっていくからです。
疑うよりも、信じたいです。
信じて、心地よく楽しい気分でいる方を選択していきたい。
純粋に信じることで得ていた喜びを、再び思い出して、大切にしたいと感じています。