もし、「負の感情」がなければ、どれほど幸せだろうと、いつも思います。
失う恐怖、執着心、軽蔑、怒り、嫉妬、孤独への恐れ、非難、否定、劣等感、復讐心・・・
人間が不幸になるのは、これらの負の感情で心がいっぱいのときです。
ここから先は、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の「クララとお日さまーKlala and the Sunー」を読んでの感想と私の勝手な解釈を綴ります。
ネタバレを含みますので、まだお読みになられていない場合は、ご注意とご了承をお願いいたします。
「クララとお日さま」の世界では、現代で学歴や年収を比べるように、向上処置という人間同士を比べる新たな基準が登場し、ますます格差社会が広がっています。
人間の負の感情と、クララの正の感情との対比から、人間ならではのネガティブさ、ポジティブさの理想と現実を痛感しました。
この物語は、人間(ジョジー)と人工親友(クララ)の友情のお話です。
読者は、AIロボットであるクララを「友達として、家族として受け入れてあげてほしい」という観点で考えます。
私はこの観点で読んだので、読後には「悲しみ、切なさ」が溢れました。
ところが、クララは、そうは感じていません。
幸福な体験だったと感じています。
そこで、私は思います。
クララの純粋な心を保つ源泉はなんだろう?
それは、人間特有の「欲」がないからこそ、しあわせの感情の中にいられたのかなと思いました。
たとえば、
- ジョジ―と一番の親友になりたい、家族として受け入れてほしい
- 粗末にされたくない、大切に扱ってほしい
- 自分は他のAFより優れていることを認めてほしい
などの「社会的欲求」や「承認欲求」が、もしあったなら、その「欲」が叶わないことに、不幸の感情で満たされてしまっていたかもしれません。
これらの「欲」の代わりに、クララにあったのは、
- ジョジーにとっての最善最良のことをするという「明確な目的」
- お日さまが与えてくれる栄養の力と親切を一途に「信じぬく心」、みんなからも親切にしてもらえていたことを「信じられる心」
でした。
「認められたい、大切にされたいなどの欲求」が満たされるかどうかではなく、「明確な目的」と「信じる心」に支えられているクララは、ジョジーから、友達とは思えない冷たい言葉を言われたとしても、
独りぼっちが怖くて、だからあんなふうに振る舞うのかもしれません。たぶん、ジョジーもです
『クララとお日さま』カズオ・イシグロ(著)/土屋政雄(訳)
と、ジョジーを信じます。
目的を叶えるためなら、大切な自分の溶液を使うという、認知機能に影響が出るかもしれない危険にすら立ち向かいます。
新しい型には備えられている嗅覚が自分にはついていないことに対しても、嫉妬や劣等感を感じません。
ただ、自分には嗅覚がないということを、事実として認識しているだけです。
バカにされても、感情的にならずに、冷静に、自分の頭で考えた中での最善最良の対応をします。
また、ジョジーの生活のためなら、自分は物置で過ごす生活の方を選びます。
人間の身勝手さにも、軽蔑しません。
廃品置き場に移動させられるという出来事が起きたとしても、決して買主を恨むようなことはありません。
この家にずっと置かせてほしいという執着心がないのはもちろん、恨みや憎しみ、怒りや復讐心も、いっさいありません。
だからこそ、幸せでいられます。
クララにとっては、最高の家で、ジョジーは最高の子として記憶されています。
そして、たくさん学べたことを喜び、
できるサービスをすべて提供して、ジョジーがさびしがるのを防ぎました
『クララとお日さま』カズオ・イシグロ(著)/土屋政雄(訳)
ジョジーに何が最善かを考え、そのために全力を尽くしました
『クララとお日さま』カズオ・イシグロ(著)/土屋政雄(訳)
と、ジョジーに良きサポートができたことに満足し、純真な心のままでいられました。
それは、ジョジーの幸せを「一番の基準」において考えるという目的があり、使命があるから。
生き方が明確に定まっているので、ブレません。
私が一番心に残っているのは、廃品置き場で、クララと店長さんが再会するシーンで、目の前に現れた人が、店長さんだと分かったときのクララの感情です。
わかった瞬間、心が幸せでいっぱいになりました。
『クララとお日さま』カズオ・イシグロ(著)/土屋政雄(訳)
「ジョジーが幸せになること」を幸せとしてきたクララが、「自分のこと」で幸せに満たされた瞬間に、ほっとしました。
人間は、どうして、つい自分中心に考えてしまうのか。
なぜ、不幸になることが分かっているのに負の感情が湧く仕組みが備わっているのか、これがあるからこそ絶滅せずに生き残ってこられたのか。
負の感情は、人間を苦しめます。
ジョジ―の母親も、長女を亡くした喪失感への苦しみから、異常とも思える計画を立てますが、
懐かしがらなくてすむって、きっとすばらしいことだと思う。何かに戻りたいなんて思わず、いつも振り返ってばかりいずにすむなら、万事がもっとずっと、ずっと・・・・・・
『クララとお日さま』カズオ・イシグロ(著)/土屋政雄(訳)
と、喪失感から解放されたらどれだけ楽でいられるかが頭をよぎります。
負の感情も、人間らしい感情の一部だとすれば、どのようにコントロールしたら、うまくバランスをとっていけるのか。
誰もが望んでいることなのに、純粋な心を保ち続けるのがこんなにも難しいものなのか・・・など、いろいろ考えされられました。