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日常生活の中に「自分基準」を増やしていくと、明日が楽しみになる

しなければ・・・・・ならないからする」のではなく、「したい・・・からする」が、日常生活の中にどれだけあるだろう?

ふと、思いました。

つまり、自分基準による能動的な選択なのか、外部基準による受動的な選択なのか・・・

自分基準は、自分の気持ちが「先」です。

例えば、

  • 〇〇が食べたいから、「レシピを調べて必要な材料を買いに行って作る」もしくは「○○が食べたいから、〇〇のメニューがあるお店を探す」
  • 北欧インテリアが好きだから、この色合いの絵画がほしい
  • 気持ちよくお風呂に入りたいから、お風呂掃除をする

「したい」「ほしい」という自分の気持ちを「先」に考えるので、自分の感覚を尊重するイメージです。

これを続けていると、何と言っても「明日が楽しみ」になります。

一方、外部基準だと、外部の状況が「先」です。

  • 安売りをしていたから、とりあえず買う
  • とりあえず入ったお店で、メニューの中にあるものから選ぶ
  • せっかくもらったから、とりあえず飾る
  • しなければならないから、とりあえずお風呂掃除をする

外部環境が「先」なので、自分の気持ちを「後回し」するようなイメージです。

もちろん、外部基準で選択することも日常生活の中では避けられないですし、考えなくていいので「楽」です。

ただ、外部基準による行動ばかりをしていると、どうなるのか?

この状態によって引き起こされるのが、

「なんのために生きているんだろう・・・」

という漠然とした不安です。

つまり、自分の気持ちが後回しにされ続けている状態だからです。

やはり、自分の内から湧いてくる「したい」「ほしい」という原動力による主体性と、自己コントロール感が大事。

自分の「したい」「ほしい」 にどれだけ時間をとってあげられているかは、一日の満足度も左右します。

とはいえ、どうしても避けられない家事や仕事もあります。

やらされ感をなくすためには、目的を意識したり、得られるスキルを考えたりしながら、「しなければ」から「したい」に解釈を変えるなど、工夫が必要かもしれません。

そうまでして、自分基準を大切にしていくのは、自分基準は自分の感覚を大切にすること、つまり自分を大切にすることだからです。

もし、自分の「したい」「ほしい」に目を向けずに、外部環境に対して受動的に反応しているだけだと、日常のあらゆることが作業となり、生活そのものが単なる作業となってしまいます

「なんのために生きてるんだろう・・・」という漠然とした不安を、「明日が楽しみ!」というワクワクに変えるためには、まず、自分の感覚を大切にしてあげること。

自分の気持ちを「先」に考えて、尊重してあげることで、自分の気持ちが満足します。

自分の気持ちが満足することで、他人を思いやる気持ちも自然に湧いてきます。

そうやって、生活そのものも満たされてゆく気がしています。