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日々おいしくごはんを食べられたら十分しあわせ

これは、私が大事にしている基本です。

ところが、長く生きていると、どんどん他の幸せにも目が向いていきます。

誰かからの評価に幸せを求めてしまったり、モノを所有することに幸せを求めてしまったり、愛されることに幸せを求めてしまったり・・・。

人間は、周囲から情報を得れば得るほど、複雑に考えてしまって、気づかないうちに幸せの基準も複雑化されていってしまいます。

もし、誰かからの評価や、モノの所有、愛されている実感などが幸せの基準になってしまうと、それを感じられないときや失ったときに不安感や喪失感に襲われて、苦しみが生じてしまいます。

だけど、これらの苦しみを経験して知るからこそ、外に幸せを求めてはいけない、もともと内に幸せはあったんだと、改めて思いなおせるのかもしれません

私は子供の時から「生きるとは何だろう?」とよく考えていました。

生きることの基本の一つに、「食べること」があります。

食べることは、自然の恵みによって生かされること、と同時に「生きる喜びを味わうこと」でもあります。

現に、おいしいものを食べているときは、この上ない至福の時間を過ごせます。

私にとって、大福や生クリームサンドは、何度でも幸せな気分を呼び起こしてくれる大切なアイテムです。

また、前日の夜に、明日のメニューを考えて、食べたいものを予定表に書き込んでいるときはワクワクします。

大好きな食べものは、いつでもしあわせな気分にしてくれます。

食べ終わったあとに、「喜びの時間をありがとう・・・」と、しばらく残る余韻も好きです。

食べることが楽しみなのは、人間だけではないようです。

ペットの犬や猫も、ごはんの時間を毎日楽しみにしています。

そして、彼らも、おいしいものは何かをちゃんと分かっている様子。

小鳥やほかの動物たちも、餌を見つけると、我先にと夢中になります。

食べることは、すべての生き物に共通する「幸せを感じられる時間」なのではないかと思えます。

この土台の上に、自分の目標達成、人とのつながり、仕事のやりがいなどによる幸せをのせていく。

もし、上にのせたものが多少揺らいでも、土台に支えてもらえるように、「自分にとっての土台は何か?」にしっかり向き合っておくことを大切だなと感じています。

“ 毎日、おいしくごはんを食べられること。そして、心穏やかに過ごせること。”

これは、十分幸せなことなんだなといつも感じます。