「人生」という映画の後半に用意されているのは、自分が思い描く理想の展開。
その展開通りに向かっているかどうかは、そういう「台本」になっているか、そういう「伏線」を張っているのかが大切です。
伏線があるから、話が進むにつれて回収していけるのです。
自分の「人生」という映画が面白くなるかどうかは、自分がつくる台本次第です。
私たちは、この映画の脚本家であり演者です。
台本を考えないということは、誰かの書いた台本の通りに演じるだけになってしまい、他人の人生を生きることになってしまいます。
約100年という超大作の映画なので、ラブストーリーの要素もありがなら、経済ドラマのようなどんでん返しが待ち受けるシーンもあるかもしれません。
あるいは、逆境が序盤にあってそれを乗り越えていくストーリーなのか。
スリルを好む人がつくる人生の台本は、アクション映画さながらの出来事が物語の中にたくさん盛り込まれているかもしれません。
人生という映画の台本をつくっていくということは、すべてのことに「意味」があります。
脚本家が物語の細部まで一つ一つ「大切にしてくれる」ので、登場人物に命が吹き込まれて、その映画の中で「大事な存在」となって輝くのです。
何を着るのか、何を食べるのか、何を聞くのか、誰と会うのか、何をするのか、何を買うのか、いつ遊ぶのか、何時に寝るのか・・・
そして、それは「なぜ」なのか。
映画全体を見据えたシナリオを描いているので、その台本に書かれていることすべての行動にきちんと説明できるような目的があり、意味があるのです。
すると、一つ一つの動作、選ぶ言葉を「考える」ようになります。
無目的なダラダラと過ごしている時間を減らしていくことができます。
同時に、未来に訪れる理想の展開を見据えた台本づくりのことを常に頭においているので、日々の生活の中に伏線をどんどん張り巡らせていくことができます。
逆に言うと、先のことまで含めた全体を俯瞰していないと伏線を張れません。
回収する伏線がないということは、物語が展開しないので、同じことを何年も何十年も繰り返していく単調な映画になってしまうかもしれません。
人生に伏線を張るということは、「想像している将来に向けての下準備」です。
映画の後半に予定している展開への「示唆」です。
私たちは、今、それぞれの理想の展開に向けた「今のシーンの台本をつくっている真っ最中」なのです。
そして、伏線は将来の逆算からあらかじめ張るだけでなく、何気ない出来事だと思っていたモノやコトが、のちに伏線となって繋がって、「運命」という演出が起こる瞬間に得られる高揚感も人生という映画の醍醐味です。