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自分の体は「自分が大切に育てる」という使命感をもつ

大切に育てなければならないのは、何も子供やペット、花や木だけではありません。

自分の体も大切に育てなければならない対象であることには意識が向かずに、ないがしろにしていませんか?

私たちのこの“本能と体”を、私たちの“理性”が預かっていると考えることで、この体は”本能”に好き勝手にさせるのではなく、私たちの“理性”によってコントロールしなければならないということになります。

そして、私たちは、この預かった体を死ぬまで大切に育てていかなければならないのだという使命に気づきます。

しかし、なぜか大切に扱うどころか、逆のことをしてしまうことが多々あります。

体が鈍ると分かっていながら、ソファやベッドに寝転んでテレビやゲーム、スマホに長時間を費やしてしまうことがあります。

不健康だと分かっていながら、アルコール、たばこ、ファーストフード、脂っこい食事、砂糖たっぷりのジュースやお菓子を自分の体に継続的に与えてしまうことがあります。

寝不足になると翌日に響くと分かっていながら、理由もなく、つい遅くまで起きてしまうことがあります。

本当は、自分の理性で自分の体をコントロールできるのに、本能が勝ってしまうと目先の報酬に負けてしまいます。

本能による行動を理性によってしっかり認識する必要があります。

なぜ、今これをしたいのか。

なぜ、これを食べたいのか。

なぜ、遅くまで起きることを選んでいるのか。

なぜ、適度な運動を今日しなかったのか。

そこに、何か理由や目的があっての行動なのか、それとも単なる目先の欲求によるものなのか。

つまり、この体は預かっているのだから、大切に扱う、むやみに体に害のある不健康な食べ物ばかり与えてはならない、体に負担になる暴飲暴食をさせない、むやみに睡眠時間を削らせないというようなことを自分で意識をしてあげる必要があります。

この体を大切に育てるためには、

栄養のある食事を与える

体の疲れを取るために十分な睡眠を与える

適度な運動をさせる

日光を適度に浴びせる

脳を働かせる

ことが、必要だとわかります。

そして、この自分の体にそれらをしてあげられるのは自分しかいないということです。

幼少期は、親や周囲の大人たちが手伝ってくれます。

何を食べるのか、何時に寝て起きるのか、外で日光を浴びながら遊ぶのか、何を勉強するのかは、自分でコントロールするというよりは、親や周囲の大人たちに委ねられています。

しかし、自立して自分の体を自分でコントロールして自分で守ることを託されるようになると、これらのことはすべて自分の責任になります。

自分の体を自分で大切に育てていくという観点から考えると、日々の行動の一つ一つに責任を感じるようになります。