「侘び寂び」という日本人独特の美意識や世界観は、一言で「これ!」とは、言い表せません。
「不完全なところ」や「侘しい寂しい」という、一見マイナスに思える言葉に「美を感じる」という、観念的というか、「感性」のようなものです。
それはまるで “ 静寂の中にひっそりとある綺麗な世界 ” 、もしくは “ 質素の中にある豊かさ ” のように、もはや “ 感覚でしか分からない ” 不思議な言葉です。
それも、西洋の「美」のように、“ 見るからに完璧で美しい ” というのではないので、侘び寂びの「美」は待っていても感じられません。
また、今この瞬間の「美」だけではなく、廃れていく中にも「美」を見出します。
このような、時間をかけて滲み出てくる「味わい」は、時を要します。
「美」を “ 待つ ” というのも、四季の移ろいがある日本ならではの「楽しみ方」の一つなのかもしれません。
わびさびは、見えないものを見ようとするので、“ 見出していく ” ための想像力を要します。
自分から、積極的に味わいにいかないと得られない、能動的な「美」です。
自分から、余白の奥にあるものを理解しようとするような、主体的に感じる「美」です。
- 桜が散りゆく中にある、儚くも潔い美しさ
- 朽ち果てていくものにある、愛しくも尊い美しさ
- 古びてゆく味わい
など、「わびさび」という言葉は、日本人の感性が詰まった言葉の結晶です。
日本人は古来より、和歌を詠んだりと、淡々と続く日常を言葉によって色鮮やかに染めていきました。
侘び寂びという奥深い美学、そして日本語の美しさを大切にして、五感を研ぎ澄ませながら、日々を彩っていきたいと感じます。