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今までの自分の感覚を整理してみると、新たな発見に気づく

100年カレンダーを毎日眺めていると、あることに気づきます。

この年齢の頃は、絵本を読んでもらうのが好きだったから、「ひらがなを初めて教えてもらった日」はすごく嬉しかったなぁ。

そういえば、自分からやりたいと言ってせがんだ「新しい教材」が届いたときのワクワク感、好きだったなぁ。

私は、新しいことを学ぶこと自体に喜びを感じてたんだなぁ。

すると、学ぶことが楽しい感覚は、今でも得ていることに気づきます。

それは、淡い色を使ったインテリアや、間接照明で空間をやわらかく包むようなライティングテクニックや、広いふかふかの芝生の庭づくりについて調べたり、北欧の雑誌を眺めている時です。

あっ!そういえば、この年齢の頃から、冬に朝玄関のドアを開けたときのひんやりしたにおいが好きだったなぁ。

他にも、学校の通学路で感じた枯葉の秋のにおい、草の緑のにおい、金木犀の甘いにおい・・・

すると、自然のにおいに癒される感覚は今でも得ていることに気づきます。

それは、会社の通勤中や散歩中です。

あっ!そういえば、この年齢の頃は、図書館で本を借りるのが好きだったなぁ。

自分が読みたい本を、自分が選ぶというコントロール感と、本を借りる時のピッピッという音が何とも言えない楽しみを掻き立ててたなぁ。

すると、当然、読みたい本を選ぶワクワクは今でも得ていることに気づきます。

他にも、おいしいという喜びの感覚。

新しい職場や新しい引っ越し先で感じる、不安と期待が入り混じるドキドキ感。

飛行機に乗る高揚感。

部屋を片付けたときのスッキリ感。

寝る前に、読書をする楽しみ。

冬ならではの喜びは、湯たんぽで温めておいた“もふもふ”の毛布にもぐりこんだ時の肌触り。

それは、まるでカンガルーの赤ちゃんになったような、母親カンガルーのポケットに包まれる感覚。

100年カレンダーを見ながら、年齢を辿っていくと、「自分の好きだった感覚」を順番に思い出していくことができます。

すると、似た感覚が、頭の中でカテゴリー分けされて、整理されてきます。

あの時のこの感覚は、今でいうこの感覚と同じだな・・・と。

これを毎日続けていると、好きの感覚の体感が強化されていきました。

すると、今までは漠然としていた「好き」が、「自分はこういう時の、こういう感覚が好きなんだ」とハッキリと見えてきます。

この「好き探しの感覚」は、そのまま今の生活の中にもあてはめていくので、「好き」を探す癖がついてきます。

「この年齢の頃に感じてたあの感覚、好きだったなぁ。」というのを一つずつ思い出していくことで、今でも違う場面で「同じ感覚」を得ていることに気づくのです。

ということは、60歳になっても、80歳になっても、同じこの体感を何かしらで得ているんだろうなぁと、脳がだんだんと予測するようになっていきます。

100年カレンダーの最大の特徴は、若い年齢から未来の年齢までが全部一望できること。

好きの感覚を年齢ごとに順番に辿っていくことで、この先の未来の年齢の時も、そのまま「好きの感覚が続いていく」と、脳は類推してくれるのです。

エクセルのオートフィル機能のようなイメージです。

「今まで感じてきたこの好きの感覚が、この先の未来も続いていくんだ!」と心の底から思えてくるのです。

きっと、60歳になっても、何かを学んでワクワクしているだろうし、80歳になっても、散歩で好きなにおいを楽しんでいるはずです。

なぜなら、1年前にこの100年カレンダーを眺めながら、来年もこの好きの感覚を何かしらで感じているだろうなと思っていたところ、やっぱりその通りだったからです。

そして、今年もこの100年カレンダーを眺めながら、来年に対してやっぱり同じことを思っています。

そのまま100年カレンダーの上の方に視線を向けると、80歳の今日と同じ日も、90歳の今日と同じ日も、この同じ100年カレンダーを眺めながら、「やっぱり同じだ!」と思うんだろうなぁと感じています。

つくづく思うことが、「100年カレンダーの中のどの日だとしても、今この瞬間は同じで、今この瞬間しかないんだ!」です。

100年カレンダーを毎日見ていると、2年前の今日も、1年前の今日も、先月の今日も、どの日に見ても、同じ「今この一瞬」だからです。

「今この瞬間は、100年カレンダーの前に立って、100年カレンダーを眺めている」という行為で、同じなのです。

そして、過去の好きな感覚を思い出して、今の好きな感覚を味わって、未来に待っている好きな感覚を楽しみに感じている。」が同じなのです。

つまり、人生は、ずっと「今この瞬間瞬間・・・・心地よい感覚に気づいていく」ことの「連続」でできているんだなと思えてきます。

さらに大切なことは、これらの感覚は、写真には残せないということです。

なぜなら、これらの感覚は、なんでもない日常生活の中で、突如、体の中に生まれるものだからです。

写真が、好きな感覚を思い出すきっかけにはなっても、写真自体には、「好きな感覚」の保存はできません。

結局、この心地よさの感覚は、その都度感じて、その都度大切にしていくしかないんだなぁとつくづく思います。

※ちなみに、こちらが生まれ年から始まる100年カレンダーシリーズです。1972年生まれ用を例としてリンクをのせています。自分の生まれ年を探して見つけると、テンションが上がります。