この世を去ったあとは、またあの「無」の状態になるだけなのではないか?
たとえば、恐竜がいた約2億3000万年前。
私は何をしていただろう?
人類がようやく生まれたのが約700万年前なので、もちろん私は生まれていない。
意識も、体も、存在すらしない「無」。
そもそも、宇宙が誕生してから私が誕生するまでの138億光年の間、ずっと「無」でした。
その「無」の期間、何か怖いことがあったかといえば、一切ありません。
怖いという感情もなければ、しあわせという感情もない。
138億光年間、ずっと、何も感じなかった・・・。
そこで、思いました。
おそらく、最期の日を迎えたあとも、またあの「無」の状態になるだけなのではないか?
もう一度、自分に問いかけました。
あの「無」の状態に戻ることが怖いのか?
そう考えると、いったい何を怖がっていたのかと分からなくなります。
結局、恐れていたのは、永遠の眠りがどんな状態かが分からないから、もしかすると不快な感覚が残り続けてずっとそれを感じ続けなければならないのではないかという不安でした。
しかし、体が永遠の眠りの状態になると、意識を発生させることもできなくなるので、意識が生まれる前の「無」に戻るだけであれば、別になんのことはありません。
なぜなら、意識が生まれる前の138億光年間、不快なことはなく、我慢しないといけないようなことは何もなかったからです。
恐竜に襲われることもなければ、氷河期で寒さに震えることもありませんでした。
もちろん、楽しい感覚もなかったですが・・・。
万が一、この期間に、何かしらの意識が発生していて、状況を認識できる状態であったとしたら、この途方もない時間を何か感じ続けてきたことになります。
例えるなら、アニメ「Dr.STONE」で石神千空が、石化させられた状態で、意識保持状態のまま約3700年を過ごしたようなイメージでしょうか。
恐怖すぎます。
そう考えると、「無」であったからこそ、138億光年という途方もない時間をなんなく過ごせました。
すると、この世を去ったあとの1000億光年すら大丈夫だと思えてきます。
なにせ138億光年も「無」をやってきたわけですから。
「無」でいれば、あっという間に過ぎ去ります。
ところで、「無」を実感しようとしてもなかなかうまくできません。
それもそのはず、「無」のことを考えている時点で「無」ではないからです。
「無」とは、そもそも「無」であることすら認識し得ない状態のこと。
「0(ゼロ)」の概念と同じで、「ない」を認識するには、まず「ある」を認識する必要があります。
元々「ない」ものは、それが「ない」ことすら気づけないからです。
「ある」を認識して、初めて「ない」を認識することができます。
つまり、意識が生まれる前の138億光年間は、自分が「無」であることすら知らなかったのです。
意識がある状態(今)を知って、初めて意識が発生していない状態「無」があったことを認識できました。
話は逸れますが、「しあわせ」の実感にも似ているなぁと感じます。
すでに「しあわせ」であったを知らずに過ごして、あるとき、反対のことを知って初めて「ずっとしあわせだったんだ」と認識できるからです。
話を戻すと、「無」を実感できなくても、実際に138億光年体験してきたのは事実です。
意識の発生自体は、自分でコントロールできません。
だからこそ、意識が発生している今、何を感じて、何を思うのか。
大切にしたい今この一瞬です。