誰もが欲しいのは、「否定」ではなく、認められるという “ 安心感 ” です。
ところが、家族や恋人など「大切な人」に対して、身近だからこそ、逆のことをしてしまっていることが多々あります。
人間はどんなに間違っていても、自分が悪い、とは決して思いたがらない
D・カーネギーの「人を動かす」言葉 桑原晃弥/著
人間は、「否定」は欲しくありません。
とにかく、否定されることがイヤなので、自分の行いが「否定されない」ための正当性をアピールします。
- 子供であれば、「〇〇ちゃんもそうしてたから!」「みんな持ってるのに自分だけ持ってない!」
- 大人であれば、「そうするしかなかったんだ!」「俺にそうさせた〇〇が悪いんだ!」
など、「自分は悪くない」という被害者意識が発動するのは、他の人や環境のせいにすることで、無意識に自分を守ろうとする本能の反応。
ですので、無理やり「あなたは間違っている!」と否定しても、相手は間違いを認めるどころか、防御態勢に入って、自分の正当性をアピールするだけです。
物事には必ず “ 二面性がある ” ので、ことわざの『盗人にも三分の理』のとおり、どんな出来事でも「正当性なんていくらでもつくれてしまう」からです。
『盗人にも三分の理』
盗人にも、盗みをしたそれ相応の「理由」や「言い分」、「事情」があるということ。また、どんなに筋が通らないことでも、理屈をつけようと思えばつけられるということ。
ですので、相手を否定したとしても、言い争い、喧嘩、マウントの取り合いなど、お互いに正当性をぶつけ合うことになるか、もしくは、反感や抵抗感を相手に感じさせるだけで、良い方向には進みません。
「否定」の代わりに欲しいのは、認められるという「安心感」
人を動かす唯一の方法、それは相手の欲しがっているものを与えることだ
D・カーネギーの「人を動かす」言葉 桑原晃弥/著
誰しもが欲しがっているのは、「認められる」ことによる “ 安心感 ” です。
“ 認められたい欲求 ” は、人間の根源的な欲求の一つです。
あってるか間違ってるかではなく、自分の正当性を「認めてほしい」のです。
つまり、相手に求めているのは、正しいか間違ってるかの「ジャッジ」ではなく、
“ 自分の意見をちゃんと聞いてくれるという「謙虚な姿勢」”
です。
自分の意見を聞いてもらたいから、「謙虚さのある人」に対しては、心を開きやすくなります。
なぜなら、
『否定』は、“ 決めつけて、受け入れてくれない ” ということであるのに対して、『謙虚さ』は、“ 決めつけないで、受け入れてくれる ” ということだからです。
ですので、相手が謙虚な人であれば、無意識に「否定されない」という直感が働いて、本能的に「安心感」を覚えるのではないかと思います。
いきなり否定するということは、自分の「思い込み」で判断して正義を押し付けて、相手が間違っていると「決めつける」ということです。
相手の意見を受け入れないので、相手の「認められたい欲求」は満たされません。
逆に、 “ 拒絶された ” と感じます。
謙虚な人は、相手のことを、偏見や思い込みで「決めつけない」で、相手の意見を「受け入れる」姿勢でいます。
相手は、自分の正当性を聞いてもらえたことで、相手の「認められたい欲求」は満たされます。
「否定」をされない “ 安心感 ” は、相手の謙虚さ以外にも、「笑顔」からも読み取れます。
笑顔は、相手を「受け入れるという無意識のサイン」だからです。
逆に、無愛想は、「拒絶されるかもしれない」という “ 不安 ” がよぎります。
他にも、「マウントをとる」も、相手に対する「否定のニュアンス」があります。
マウントをとるのは、自分が相手よりも優れていることのアピールなので、相手と同等であることを否定する意味合いを含むからです。
ですので、マウントをとられた相手は、「自尊心を否定された」と感じて、不快な気持ちになります。
自分が発したものが、自分に返ってくる
相手は、自分の正当性を認めてもらえると、ようやく自分の行為に対して、冷静に向き合うことができます。
お互いに、最後まで相手の意見を聞くことで、「自分の正当性もちゃんと認めてくれている」という安心感を得て、初めて「今度どうしたらお互いにとって、より良くなるか」を一緒に考えていくことができるスタート地点に立てます。
相手の行動が、あってるか間違ってるかのジャッジは、危険です。
こちらが相手を否定するから、相手も「正当性」という武器で、こちらを否定しようとします。
否定には、否定で返されます。
力でねじ伏せても、反発されるだけで、物事の改善には向かいません。
こちらが相手を認めるから、相手も認めてくれたことに「安心」し、こちらの言い分も聞いてみようという姿勢になります。
否定や非難は、本能なので、つい無意識にそうしてしまいがちです。
とくに、家族や恋人などの「身近な人」に対して、自分が思った以上に、否定や決めつけによって相手をコントロールしようと、してしまっているかもしれません。
振り返ってみると、家族や恋人など「身近な人」こそ、“ 決めつけず、認めあって、受け入れていくべき「大切な人」” のはずなのに、むしろ逆のことをしていたことが、多々ありました。
大切な人に感じてもらいたいのは、「否定」による “ 拒絶感 ” ではなく、「認められること」による “ 安心感 ” です。
「否定」「非難」「押しつけ」による意思表示ではなく、「なぜそう思うのか?」「これからはどうしていけばいいか?」の “ 認め合いの精神 ” や “ 思いやりの心 ” を大切にしていきたいです。
自分自身に対する「言葉かけ」も同様です。
自分を責めたり否定したりするのではなく、認めて、受け入れて、「感謝」「励まし」「労い」の言葉をかけていくことが大切だなと思っています。
否定は、本能です。
本能をコントロールするには、「意識する」というひと手間を要します。
相手と話すときも、自分に声かけをするときも、“「否定」のニュアンスが含まれてしまっていないか ” を、いつも気をつけていたいと感じています。