他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。
出典:『嫌われる勇気』岸見 一郎,古賀 史健/著
相手の機嫌に「気を使う」ということは、自分の「気を消費する」ということです。
もちろん、大切な人や友人、職場の人間関係において、もし元気がない人がいたら気にかけて、相手を思いやる気持ちは大事です。
しかし、不機嫌で怒りをあらわにしている人や、愚痴や不満を言っている人にまで気を取られてしまい、相手に気遣って合わせていると、その分の自分のエネルギーが消費されてしまいます。
たとえ、相手がどんな感情でいたとしても、それに振り回されないことが大切。
他人の不機嫌に、合わせる必要はありません。
わたしたちは、“ 他人の不機嫌に流されずに、自分の機嫌は自分でコントロールしていく ” ことができます。
なぜなら、この世には福も禍もなく、解釈次第でどうにでもなるからです。
また、周囲のご機嫌を伺って不必要な飲み会に参加したり、上司に気を使って残業に付き合うことも同様です。
そういう場合は、笑顔で丁寧に対応するという最低限のことができていれば、相手の機嫌に気を使う必要はありません。
相手の機嫌はコントロールできないし、自分がコントロールできないことは、悩んでも仕方ありません。
ただ、周囲に迷惑はかけないように、自分のやるべき仕事をしっかりやって、断るべき時は丁寧に断っていく。
それで相手が気分を害するかどうかは、それはアドラーのいう「相手の課題」です。
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
出典:『嫌われる勇気』岸見 一郎,古賀 史健/著
人の悩みのほとんどは人間関係だといいます。
嫌われるのが怖いからご機嫌を伺いながらその場の空気を読んで自分を合わせてしまいます。
特に、学校や会社という狭い組織の中では、まるでその世界がすべてかのように感じてしまって、一生懸命にその集団から嫌われないように気を使います。
学校や会社というのは、単なる一つの小さな枠にすぎなくて、そこから出ても世界にはたくさんの「場」があります。
自分らしくいられる居場所はたくさんあるのです。
だけど、渦中にいると、そのことが分からなくなってしまい、その集団に依存しようとしてしまいます。
集団からはみ出さないようにするために、相手の機嫌に振り回されて心身ともに疲れて病気になってしまっては元も子もありません。
われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。
出典:『嫌われる勇気』岸見 一郎,古賀 史健/著
私たちを縛りつけている「他人の評価」から解放されることで、本当に自由となり、自分の人生を生きることに向き合えます。
大切なのは、他人の不機嫌をどうにかしようとするよりも、自分の機嫌をよくしてあげることに意識を向けることです。