上機嫌でいることは、まるで魔法のように、相手の気分も、自分の気分も変えてくれます。
上機嫌療法とは、まさにこの療法をおこなっていなければ あなたに呪いの言葉を吐かせたであろうあらゆる不運や、とりわけつまらぬ事がらに対して、上機嫌にふるまうことである。
そうすると、坂道があなたの足を鍛えるように、こうした小さな心配事が かえってとても役に立つようになる。
アランの幸福論
まさに、病気を治すときには薬を飲むように、うまくいかないと思うときには、この「上機嫌」という薬はよく効きます。
人間は、本能的にネガティブなことに意識がむくように、脳の仕組みができているそうです。
なぜなら、600万年の人類の歴史の中で、ほとんどが狩猟採集時代であり、生き残るためには必須の脳機能だからです。
しかし、現代では、普段の生活において、食べ物の心配や、獣に襲われる心配はほぼなくなりました。
すると、ネガティブに傾けようとする脳の働きは、かえって私たちを幸せから遠ざけていきます。
気分にまかせて生きている人はみな悲しみにとらわれる。
いや、それだけではすなまない、やがて いらだち怒りだす。
アランの幸福論
気分まかせでは、感情に振り回されてしまい、自分をコントロールできません。
悲観主義は気分により、楽観主義は意志による。
アランの幸福論
ネガティブが本能である以上、気分で行動すると、悲観主義に傾いてしまいます。
楽観主義でいるためには、そうであるための「意志を必要とする」からです。
もちろん、ネガティブは、危険を回避したり、二度と同じ過ちを繰り返さないための大切な要素です。
しかし、感情のまま、気分のままでいたら、ネガティブに偏りすぎてしまいます。
生きるために必要な分のネガティブはしっかり働かせて、あとは上機嫌でいる。
不思議なことに、上機嫌でいると、モノの見方も、良い面の方が よく見えるようになります。
この世のすべてに、二面性があります。
すべての事象に、もともと良いも悪いもありません。
この世には福も禍もなく「解釈」次第でどうにでもなります。
それを決めるのは、自分の解釈次第だからです。
上機嫌でいることで、良い方の解釈がしやすくなるのです。
たとえば、「寒いから、外に出るのが億劫だな」と考えると、家で こたつの中に入っていたいという気分になり、余計に動きたくなくなりますが、「寒いからこそ、身が引き締まるな」と考えると、シャキッと仕事がはかどっていくイメージが湧き「よし、頑張ろう」という気分になります。
また、“ 望む未来を楽しそうに語っているとき ”と、“ 何かに対して批判したり愚痴や不満を言っているとき ”では、聞いている相手も、言っている自分も、感じる気分には大きな差があります。
しかも、それを聞いたあと、しばらく その気分に引きずられます。
感じる気分、つまり感情の正体は、脳内物質です。
ですので、不安や怒りなどのストレスホルモンが出ているときは、体は緊張状態になり自律神経を乱したりと、実際に体調にも悪い影響を及ぼします。
反対に、幸せホルモンのセロトニンや、愛情ホルモンのオキシトシンが出て、いい気分でいるときは、体はリラックスして免疫力も高まったりと、実際に体調にも良い影響を与えます。
同じ状況にも関わらず、上機嫌でいることで、脳内物質をコントロールし、良い方へ感じ方をコロッと変えることができるので、本当に「上機嫌」は素晴らしい魔法のように感じます。
そして、男女関係でも、友人関係でも、仕事関係でも、不機嫌な人よりも機嫌のいい人に惹かれます。
もちろん、子供も、ニコニコしている機嫌のいいママが大好きです。
私も大人になってからよく思い出すのは、楽しそうで優しい笑顔のときの母の姿です。
また、自分もそうでありたいと、願います。
「辛いときは辛い」と、時には素直に甘え、誰かに頼り、きちんと自分の気持ちに向き合いながらも、感情は服をまとっているようなものなので、微笑みの習慣を忘れずに、普段は上機嫌でいるように努めることは、自分にとっても相手にとっても良い魔法をかけることになるんだなと感じています。