子供の時は、大人や周囲の人々からの「指摘」により、初めて自分とみんなとの「違い」を「自覚」し、それがイヤだと思えば劣等感を感じてしまうし、それが嬉しいと思えば自慢になる。
成長してくると、属するコミュニティにいる人々と自分との「違い」を、自分で無意識に「自覚」するようになり、悩んだり、誇りに思ったりするようになる。
劣等感を抱くかどうかは、みんなとの違いを認識することで湧く感情が、いい感情か、イヤな感情かによって決まる。
自分の中にイヤな感情が湧いたとしても、それは劣等感の原因となった事柄そのもののせいではない。
劣等感を抱いている事柄は、単なる事実でしかない。
なぜなら、その事柄がずっとあったにも関わらず、それを自覚するまでは何の感情も生まれていなくて、人と比べることで初めて何かを感じるものだから。
その劣等感の元になった事柄は、他人との比較における一つの基準にすぎない。
そして、その基準の優劣は、属している集団や環境に影響を受ける。
例えば、別の時代や環境に生まれていたとしたら、その事柄が、その時代や環境では有利に働いたり、称賛されることかもしれない。
もしくは、周りのみんなも自分と同じ特徴を持っていたり、自分だけが持っていないのではなく、みんなも持っていないとしたら、おそらく悩まない。
つい、人はその集団やその環境の小さな枠の中だけで相対的に自分の位置を認識して、その枠の中の世界がすべてかのように思い込んでしまう。
私たちは、他人と自分との違いを比較して湧き起こる感情に左右されがちだが、周りの人と違うかどうかは、属する集団や環境次第で、感じ方は大きく変わる。
たまたま、その集団と環境に属していることによって、その違いが浮き彫りになっているにすぎない。
とは言っても、何かを比べている限り、周囲との違いから生まれる感情にずっと振り回されることになる。
また、比べることが習慣になっていると、どの集団や環境に属しても、比べる基準の要素は無限に出てくるのでキリがない。
ですので、それを受け入れて、これからどうしていくかを考えるよりほかない。
違うことは、優劣ではなく「個性」。
するべきことは、違いを比べることではない。
その自覚した個性を、どう活かしていくか。
みんなと異なっているからこそ、代用不可能な唯一無二の存在であり続けられる。
In order to be irreplaceable one must always be different.
かけがえのない存在であるには、常に人と異なっていなければなりません。
Coco Chanel (ココ・シャネル)