人は 「存在」を認めてほしくて、まずは「正の注目」を引こうとします。
テストで良い成績をとったり、スポーツで活躍したり、バイオリンを上手に弾いて、親から「すごいね」と認められたいのです。
ただ 関心を寄せてほしいのです。
それができないと分かると、今度は「負の注目」を引こうとします。
わがままを言ったり、わざと相手の嫌がることをしたり、引きこもったり、非行に走ったりして、自分の存在に注目を集めようとします。
人は正しいことをして注目されないと
時に「負の注目」を集めようとする。
人生をみじめにするような努力はやめるべきだ。
アルフレッド・アドラー
この「正の注目」も「負の注目」も どちらも根底は同じです。
関心を寄せてほしい。
認められたい。
必要とされたいのです。
愛情の反対は
憎しみではなく、
無関心です。
エリ・ヴィーゼル ユダヤ人作家,ノーベル平和賞受賞
また、「無視」も同様に「愛情の反対」です。
「無視」のように、人と一緒にいるのに感じる孤独ほどつらいものはありません。
相手の存在に 誠実な関心を寄せる第一歩は、「挨拶」だと思います。
挨拶は、「相手の存在を認めること」だからです。
ただ儀礼的に声を発するのではなく、相手を見て 笑顔で声をかけることが、「相手の存在にきちんと関心を寄せている」というメッセージになっていると感じます。
そして、自分自身の「存在」に対しても同様です。
「存在」を認めてほしがっています。
自分に対して無関心でいることは、自分の存在を無視しているということです。
自分の存在に誠実な関心を寄せる第一歩は、「言葉かけ」だと思います。
自分への言葉かけは、自分の存在を認めることだからです。
微笑みながら、心からの感謝とねぎらいの言葉を自分にかけることは、「自分の存在にきちんと関心を寄せている」というメッセージ。
自分の存在にも関心を寄せて、心のこもった言葉かけをして、自分と対話する時間も大切にすることで、心は満たされていくように感じます。