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「感覚の変化」に気づく。「できるようになったこと」を認識することは、自分を大切にするということ

たとえ、小さな変化だったとしても、自分ができるようになったことを探して見つけたときに「ちゃんと成長してるんだ」と充実した感覚が得られます。

振り返ってみて、自分の「できるようになったこと」を思い出してみます。

すると、その当時はなんにも実感がなかったのに、今の時点から眺めることで、自分が成長していることにやっと気づけることがあります。

なぜなら、急にできるようになるのではなく、だんだんとできるようになっていくので、変化を感じづらいからです。

「気づいたら、できていた」ということが、往々にしてあります。

私の場合は、英語学習です。

映画を字幕なしで見られるようになりたいという夢があるので、毎日英語の勉強をしています。

勉強といっても、趣味のようなものです。

毎日、ラジオ英会話を聞いたり、単語を覚えたり、オウムの法則を使って同じ英文の音読を繰り返したりと、英語に触れていること自体が楽しいのです。

ただ、何年も続けていますが、日本に住んでいながら、しかも趣味程度で英語を学んでいても、ナチュラルスピードの会話はなかなか聞き取れるようにはなりませんでした。

ところが、最近ふと、ラジオ英会話を聞いているときに、

「あれ?聞き始めた頃は、何を言ってるのかさっぱり分からなかったのに、ところどころ意味が分かるようになっている」

と、以前よりも聞き取れる部分が少しずつ増えていることに気づきました。

とても小さな変化ですが、それに気づいたときは、嬉しくなりました。

他に、できるようになったこととしては、夕食前の「15分エクササイズ」や「3分プランク」です。

始めた当初は、息切れがして、数分のエクササイズなのに最後までできなかったり、全身筋肉痛になったりしていました。

ところが、続けていくうちに、その動きに使われる筋肉がついてきたのか、今では最後までついていけるようになり、筋肉痛もおこらなくなりました。

できてしまっている状態では、「できるようになった」という変化が分かりづらいものです。

車の運転でも、料理でも、あたりまえになってしまうとできていなかったときの感覚を忘れるからです。

教習所に通い始めた当初は、エンストばかりで「路上なんて恐ろしくてとても無理。」と本気で思っていました。

料理も、一から順番にレシピを見ていかないと、何も作れませんでした。

今ではあたりまえにできるようになっていることに対して、「あんなにできなかったのに、できるようになっているんだ」という「感覚の変化」に驚きというか、不思議さを感じます

振り返ってみて、その「感覚の変化」をきちんと認識することで、「そういえば、15分エクササイズを始めた頃は、半分すらできなかったのにな。筋肉は、本当に増えているんだ。やっている意味はあるんだ」と実感できてモチベーションも上がります。

他にも、どんな小さなことでも思い出して書いていきます。

など。

ちなみに、私は恥ずかしながら、『絢爛』が読めませんでした。

源氏物語の本を読んでいるときに出てきて、調べると『けんらん』。

『豪華絢爛(ごうかけんらん)』という言葉は聞いたことあっても、漢字を知らなかったので、「これが絢爛(けんらん)かぁ」と、無知の恥ずかしさと読めるようになった喜びをしみじみ感じたことを懐かしく思い出しました。

年が明けてまだ数日の今だからこそ、去年を振り返ってみて小さな「できるようになったこと」を探すことは、今年の小さな「できるように『したい』こと」につながります。

自分の「できるようになったこと」を探して見つけてあげて、しっかり喜びの感覚を味わうことは、「自分に向き合う」ということなので、「自分を大切にする」ということ。

探すまでは気づかなかったことが見つかっていくと、自分の成長を実感できて、自己肯定感も満たされていくような気がしています。