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日常にアートを取り入れて、想像力を鍛える。いつもの景色が一変する

アート作品に自分が何を感じるのか、何を発見するのか、どういう意味付けをしたのかは、すべて自由です。

そのアート作品にはどんな情報が含まれているのか、誰のところを渡り歩いてどんな旅をして今目の前に“ある”のか、これから何とつながっていくのかなど、アート作品は計り知れない可能性を秘めています。

以下、 『脳から見るミュージアム アートは人を耕す 中野信子,熊澤弘/著』を読んで得た学びや気づきの一部を自分なりの解釈も交えて説明しています。

アートとは

あるモノを見たときに、今はそれに何も価値がないように思えても、誰かがその価値を発見することで存在感を放つモノや、そのモノが辿ってきた道のりに価値が生まれたり、時を経ることで価値が高まる場合もあります。

無名の画家が描いた何気ない一枚の絵が、後にその画家が有名になった途端に、“あの画家が描いた貴重な絵”に様変わりします。

同じ書物であっても、かつて歴史的に名高いあの武将が有していた書物というだけで付加価値が生まれます。

私たちが今使っている何気ないモノも何百年後にはこの時代の文化としての 大事な“資料”となり得るのです。

アートとは、無限大に意味生成が可能な、決して型にはまることのない”自由な存在”のように感じます。

VTSで脳を自由にする

VTS(Visual Thinking Strategy)とは、MoMAの愛称で親しまれているニューヨーク近代美術館が開発した教育カリキュラムです。

通常、美術館や博物館でアートに触れるときは、事前にそのアート作品に関する説明を読んでからじっくり観賞するという手順を踏みがちです。

たしかに、作者の意図や作品の意味を知ることでそのアート作品を正確に理解できる気がします。

しかし、その順序で作品に触れると、固定概念が先に出来上がってしまうのでその意味以外では見れなくなってしまいます。

そして、説明文を理解したことでそのアート作品を理解したと満足してしまい脳は思考停止するので、その作品に眠っている未発見のお宝を探しに行くことをやめてしまいます。

ですので、VTSは真逆です。

対話型鑑賞法により、脳を自由に羽ばたかせます。

まず、一人一人が無の状態からアートをじっくり鑑賞します。

そしてみんなで感想を自由に語り合います。

対話を通して様々に想像を展開させていくことで、物事を体系的に捉える力批判的思考力観察力推理力仮説設定力コミュニケーション力問題に対して多角的な視点で複数の解決策を見出す力を鍛えていくという発想です。

それは、正解のない問いに対して、よく見て、よく考えて、意味を生成して答えていくことで、頭の中の掴みどころのない抽象的なイメージをこれまでの知識や経験とつなぎ合わせて、そして自分の知りうる語彙をフル活用して言語化していくという脳をまるで耕すかのような体験です。

ミュージアムの意義

ミュージアムはこれらの貴重な学習リソースを収集、研究し、そして大切に保存しながら展示もしている場所です。

最近では、新型コロナの影響もあり家にいながらアート作品を鑑賞できるバーチャル博物館なるものが増えてきました。

人気のある美術品の周りは人だかりができており、人のざわめきと気配の方に気を取られて、作品をゆっくり鑑賞するどころではありません。

もしくは、あまりに有名な作品はガラスケースや柵があって近づいて見ることすらできません。

その点でバーチャル博物館は、好きな作品を静かにじっくりと、時間を気にせずに鑑賞できるので、思う存分その作品と一対一で対話することができます。

とは言え、やはり実際に博物館に足を運んで実物を見るのとでは得られる感覚が違います。

ミュージアムの外観から観賞は始まります。

作品の見せ方にもミュージアムの個性があらわれます。

どこに配置してあるのか、作品と作品の間隔、あるいは薄暗い部屋の中でその作品にそっとライトがあたっていたりすると感じ方もまるで変わってきます。

そして、館内の匂いや空気感、広々とした空間を流れる静寂な時間、リアルの作品を肌で感じる迫力はバーチャルでは味わえません。

ミュージアムは、元々個人のコレクションが発端であったように、美術館や博物館などの公共施設だけでなく、企業や個人もアート作品を買い集めます。

しかし、その場合はコレクションとしての意味合いが強く、資産状況によっては売り渡されてしまうこともあります。

それによって重要な美術品が行方不明になることも起こってしまいます。

一方、公共施設は、集めるだけでなく、歴史的資料として保存、維持管理という大切な役割も担っています。

歴史的資料は、断捨離とは無縁が理想です。

歴史的資料は、残そうと思わなければ残せません。

たとえいつ価値が出るか分からなくても、残していくのがミュージアムの使命でもあります。

しかしそこには、保管場所の確保、高度な修復技術、古い資料の適切な維持管理、デリケートな美術品の移動作業など、展示空間には見えていないコストがかなりかかっています。

鑑賞に対しての意識が変わる

本書『脳から見るミュージアム』を読むことで、ミュージアムの起源から、アートとわいせつのせめぎ合いなど幅広い観点からミュージアムの知識が得られ、ミュージアムに対するイメージは180度変わりました。

そして、“鑑賞すること”に対しての意識も変わりました。

それまでは、歴史的な資料を見て当時の文化への理解が深まったと分かった気になったり、有名な作品となると何時間も並んで人混みをかき分けて遠目に見るのがやっとだったのに、鑑賞をした気になっていました。

しかし、それはもはや鑑賞ではなく“有名な作品を見てきたこと”自体に満足してしまっていたのだということに気づきました。

アート作品に限らず何事に対しても、本人が“見よう”としなければ、何も見えてきません。

“感じよう”としなければ、何も感じません。

ところが、意識的に“見よう”としたり“感じよう”としたりすることで、それまでなかった価値が突如あらわれたりすることもあります。

身近にある骨董品や絵画をあらためてじっくり鑑賞してみると、毎日見ていたはずなのに、初めての気づきがあったり、今まで想像すらしなかったこの壺の中の世界に思いを馳せる余裕が生まれ、日常の中でまだ眠っている“なにか”を発見する楽しみが広がりました。